☆PC版必要スペックは?
★クリア後要素
☆世界観・用語集
★最強武器の作り方
☆初心者ガイド|よくある質問一覧
FF16の考察記事です。考察なのでネタバレしかありません。
私の立場として、クライヴは死んだものとして話を進めさせていただきます。一部反応を見ると、クライヴ生存説もあるのは承知の上で、筆者はあれは死んだだろう、というところで論を進めます。というよりかは、クライヴが死んだことにしないとこの考察部分が成り立たないからというのもあり、死んだものとして扱います。
私がクライヴを死んだものとして扱うのは一つ大きな理由があります。それは、クライヴがアルテマに匹敵する、つまりあの世界における神、理、ロゴスという存在になったからです。
ミュトスとロゴス。これについてははっきりした答えは私の中にもでていませんが、一つ言えるとすれば、ミュトスとは物語のことです。mythの語源ともなっているので、神話とよく訳されますが、虚構全般を指す言葉として扱っていいようです。
一方本作では偽りの神とされているロゴスは、そうした物語という空想に対する理性というような意味合いであり、かつ、そこから理性法則のようなものとして使われているようでした。
アルテマの目的は黒の脅威のない新たな世界を創世することによって、自身が新たな理になることでした。理、つまり法則のようなものを目指しているアルテマにとって、ミュトス、ただの空想(人自身が空想でありアルテマの器という意味かもしれない)の存在であったクライヴに対してロゴスと名付けることは、アルテマ自身がクライヴに対して新たな理――自我をもつ人類という――になりうるのだ、という脅威を感じた可能性があります。
こうしてミュトスからアルテマの言うロゴスとなったクライヴですが、先程述べたようにこれはクライヴがアルテマに匹敵する存在となったことを意味します。
では、アルテマに匹敵する存在となったクライヴの目的とはなんだったでしょうか。そうです、繰り返し作中で述べられているように、人が人として生きられる世界を作ることです。
これは言い換えれば自我を持って、ベアラーやアカシアのような存在ではなく、生きていくという意味です。しかし、ここにも欠点が存在しました。それがマリアス教徒の存在です。
マリアス教徒、今では救世主信仰にもなっていますが、無垢なる存在であるアカシアに生まれ変わることで、俗世の苦しみから救世されることを目指します。余談ですが、このあたりは若干仏教のテイストが混ざっていそうです。とはいえ筆者も専門ではないため、自我は我執と隣接しており、無垢という言葉自体も仏教にあるのだな、という程度を指しておくにとどめます。
ここで一旦整理しておきましょう。
クライヴ | アルテマ |
---|---|
「人が人として生きられる世界」 →人が「自我」をもって生きられる世界 |
「真あるべき世界」 →自分だけの世界で、人はあくまで道具にすぎず、「無垢」な存在にする |
クライヴの目的は人が自我を持って生きられる世界にすることで、アルテマの目的は自分たちが再び世界に君臨するためだけの世界を作ろうとしていました。そこに人の存在は必要ありません。あるいはアカシアであれば存在理由があったかもしれませんが、というのもアカシアはアルテマに奉仕する存在だからです。
本編中では無垢なる存在とされていることから、クライヴのいう「自我」というロゴスとアルテマのいう「無垢」というロゴスが対比関係にあることが分かります。
物語の結末はクライヴのロゴスが勝利することになりました。しかし、それだけではクライヴが新たな理として君臨することになります。クライヴは旅をする中で、自分自身のロゴスだけが世界にあるべきものではない、ということを知りました。それが先程指摘したマリアス教徒の存在です。
サブクエスト「赤翼の残火」で語られているところですが、自らの意志でアカシア、無垢なる存在になろうとする人たちがいました。また、それと同時に不死鳥教団、主に従いその命を全うする不死鳥教団の存在も知りました。クライヴは最初こそ否定しようとしましたが、しかし最後には否定をしきることができずに終わっています。
もちろん、あれも自身の自我によって信仰に殉じたという見方も可能です。言い換えれば、クライヴの自我という信仰に殉じたとも言えるわけですから。いずれにせよ、無垢に生きることを望むという自我もあるんだ、というクエストが「赤翼の残火」でした。
いよいよこうなってくると、クライヴが新たな理として君臨してしまえば、それは無垢なる存在とどこがどう違うのでしょうか※。という疑問が生まれてきます。ですから、私個人としては、クライヴはあの描写であれば、やはり死んだと考えるのが妥当でしょう。
※7/20注釈:クライヴの思想が理として君臨してしまうとしたら、アルテマが無垢なる存在という理にすることと一体どれほど違うのか、という意味。つまり、クライヴの思想がよいものに見えても、サブクエストのように無垢なるものとして生きる人たち、殉教するような人たちを否定することにはならないだろうか、ということ。実際クライヴは赤翼の残火中に不死鳥教団のあり方に疑問を呈していた。 |
その他裏付ける形になりそうなのは、ジョシュアはハルポクラテスに非常に優秀なモースを超す歴史学者にもなれるだろう、という言を残しています。最後、クライヴがジョシュアをどのように蘇生したかはわかりませんが、あの時点でジョシュアはクライヴの言っていた想いを繋いで、クライヴ亡き後の世界を、クライヴの筆跡をたどるような「ファイナルファンタジー」を著したと考えるのが私としては妥当な線だと思います。
さて、ここからは私の感想となります。考察ではなく私自身の物語の好みなどにも繋がってくるので、そういう捉え方もあるんだな、程度に見てもらえれば幸いです。
上述したように、私はクライヴが死んだと考えるのが妥当であると思います。しかし、一方で私個人としては、それでもクライヴは明確に生き残る描写をすべきだった、と思います。
最近の大作は、どうにも目配せや気配りができすぎていて、お行儀がいい作品になってしまっていると思います。もちろん、大作である以上、多くの人に受け入れられる=売れる必要があるため、仕方ない部分もあるのは承知です。
けれど、私としてはそれでもなお、貫くなにかが見たかったと感じます。クライヴの話で言えば、自身が新たな理となる世界を否定して死んでいくのではなく、新たな理、自我をもった、言い換えれば人が人として生きられる場所を作ったのだから、それを見届けなければならなかったと思います。
この作品は、私の捉え方では最後ジョシュアやジル、ガブ、そした新たに生まれた子供に世界が繋がれることとなります。結局これは他人任せのエンディングではないのか、加えてこれに関しては本作で一度通った道でもあるのです。
一度通った道というのは、クライヴがシドになったことを指します。ただし、ここで一つ留意しておきたいのは、ただシドの理想を受け継いだわけではクライヴはなかったという点です。
シドは人が人として死ねる場所を作りたいと願っていました。これはせめて自身がベアラーを確保したりして、終わりを見届けるニュアンスを持ちます。一方のクライヴはといえば、人が人として生きられる場所です。シドにとって、これは本当に望んでいたことでしたが、恐らくシドは世界の様々な悲惨さや、オットーに言わせれば頭が良すぎたのでしょう、そのせいで本心からの言葉ではなく、せめて死ねる場所を、というように変わったのだと思います。
クライヴはたしかにシドの想いを引き継ぎましたが、単に引き継ぐだけでなく、それを昇華させたと言えるでしょう。シドからクライヴへと想いが紡がれた。しかもそれは彼らの本当に望んでいた形で。であれば、エンディングでその構図をもう一度なぞる必要はないはずです。少なくとも私はそう思います。
もちろん、私の前提となる部分が間違っており、クライヴが本当は生きていたかもしれません。ただ、あそこまで星が落ちたような描写もあり、かつ左手も完全に石化してしまっている以上、クライヴが生きていると考えるのは難しいだろうと思います。それに、石化現象自体、人間の体の内にあるエーテルを利用しているということはわかっているので、最後、クライヴが左手から魔法の炎を灯し、すぐに消えてしまったのは、クライヴ自身の体内からエーテルがなくなったことを示唆しているはずです。
もちろん、未来が描かれた段階で魔法が絵空事となっていたため、クライヴが破壊した後魔法が使えなくなったという可能性もありますが、それなら石化させる必要もなく、やはりクライヴ自身の肉体からエーテルが消え去ったことの描写と考えるほうがストンときます。
いずれにせよ、私個人としては、クライヴが理想を掲げて、それに懊悩しつつも、といったような形になっていればなぁ、と思います。私としては、そうした悩み、矛盾に苦しみ、それでも理想を掲げて生きることこそ、様々な部分に目配せして、お行儀よく振る舞うことよりもよほど素晴らしく心に響く作品になるのでは、と思っています。
ストーリー考察 ネタバレ有あり |
アルテマの目的 |
魔法生物 | 飛空艇 |
空の文明 | ベアラー |
顕現 | ドミナント |
石化 | エーテル |
黒の一帯 | マザークリスタル |
アカシア |
クライヴは生きていたと思います。 エンディングの最後のシーンで登場する「ジョシュア・ロズフィールド」著の「ファイナルファンタジー」という本の存在がヒントだと思います。 未来の男の子の兄弟がやろうとしていたごっこ遊びは、クライヴとバイロンが再会した時の掛け合いで、それをジョシュアが知っていたとは思えません。 また、オープニングで紐解かれる「本」をベースに映像化されたのが「FF16」で、その本を朗読するのがクライヴだからです。 オリジン内でのやり取りは、クライヴとジョシュアしか知りえないことで、ジョシュアのフェニックスはクライヴに渡され、リレイズはもう使えないので、ジョシュアはあのとき亡くなった。 実際にアルテマを倒したいきさつはクライヴしか知らないことです。 ならば、クライヴは生き残ったと考えるのが自然だと思いました。 ジョシュアに関することはヨーテがすべて書き残している(雪月花のエピで言ってた)し、「戦いが終わったら剣をペンに持ち替えるよう」にとハルポからもらったストラスの羽ペンにも話がつながるから、やはりクライヴは生きていたとみるのが自然かと。
エンディング考察|絶ネタバレ【ファイナルファンタジー16】
© 2023 SQUARE ENIX CO., LTD. All Rights Reserved.
当サイトのコンテンツ内で使用しているゲーム画像の著作権その他の知的財産権は、当該ゲームの提供元に帰属しています。
当サイトはGame8編集部が独自に作成したコンテンツを提供しております。
当サイトが掲載しているデータ、画像等の無断使用・無断転載は固くお断りしております。
ジョシュア生存説に関して、主人公が極大魔法レイズを使う前提ならジョシュア死亡後にわざわざ思い出を振り返り涙する理由がありません。アルテマの力を引き継いでいるので確かにレイズは使えるかもしれませんが、もしレイズを使っていたならクリスタルからエーテルを取り込むなど極大魔法に相応しい演出があるはずです。傷を治した後もジョシュアの呼吸は止まったままなので、遺体を綺麗にしてあげたかっただけでしょうね。主人公が死亡して、ジョシュアが生存していたなら、サブクエからのエンディングが辻褄合わなくてなっちゃうんで。