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EAFCモバイルにおけるレアル・マドリードの歴史紹介コラムです。今季目覚ましい活躍を見せたクラブの成り立ちや今までの活躍を紹介していきますので、ぜひご覧ください。
目次
チーム名 | |
---|---|
レアル・マドリード | |
設立年 | 1902年 |
所属ディビジョン | ラ・リーガ (1部) |
ホーム | エスタディオ・サンティアゴ・ベルナベウ |
愛称 | マドリディスタ |
チームカラー | ホワイト |
実績 | リーグ優勝:36回 コパ・デル・レイ優勝:20回 スーペルコパ優勝:13回 CL優勝:15回 FIFAクラブワールドカップ優勝:5回 UEFAスーパーカップ優勝:6回 |
監督 | カルロ・アンチェロッティ |
---|---|
フォーメーション | 3-4-2-1 |
キャプテン | ダニエル・カルバハル |
レアル・マドリードの起源は1895年にサッカーの母国イングランドからサッカーが新しいスポーツとしてもたらされたことが発端です。イギリスの大学に留学していた学生が「スカイフットボール」というサッカークラブを創設します。1900年になるとメンバー間で意見が割れたことで、クラブが「ニューフットボール・デ・マドリード」と「クルーヴ・エスパニョール・デ・マドリード」という2つのクラブに分裂することになる。
分裂した片方の「クルーヴ・エスパニョール・デ・マドリード」をフリアン・パラシオスが会長となり、最初の運営をしていきます。その後「クルーヴ・エスパニョール・デ・マドリード」をフアン・パドレス兄弟が引き継ぐと1902年に「マドリード・フットボールクラブ」として運用していくことになりました。
マドリード・フットボールクラブに変更後初代会長のフアン・パドロスと2代目会長のカルロス・パドロス、マドリードの役員であるアルバート・アギレラの話し合いの中で当時のスペイン国王であるアルフォンソ13世を祝う大会を作る案が浮上します。
そうして開催されることとなったコパ・デル・レイには5つのクラブが参加することとなりました。初年度こそ決勝進出を逃しましたが、1903年開催の大会で決勝に進んだマドリードはアトレテック・クルーヴ(現アトレティック・ビルバオ)と対戦します。決勝では前半に2点を決めて優勢な状況で後半に臨みましたが、後半に3ゴールを決められて逆転負けを喫して初優勝を逃すことになりました。
最初の数年間は優勝こそ叶わないマドリードでしたが、1905年シーズンにサン・セバスティアン(現レアル・ソシエダ)を1-0で破り念願の初優勝を飾ります。そこから1908年までコパ・デル・レイで優勝を飾り4連覇を達成するとともにスペインの名門チームとして君臨することになりました。
1910年になるとバルセロナとのエル・クラシコで初得点を決めたことで有名なアーサー・ジョンソンがクラブ史上初めての監督に就任します。監督就任してからカンペオナート・レギオナル・セントロ(リーグ戦)で5回の優勝と1917年にコパ・デル・レイで優勝するなど一定実績を残してクラブ史上2番目の長さの10年の指揮を取ることとなりました。
1912年にはマドリード・フットボールクラブのサッカースタジアムエスタディオ・デ・オドネルが建設されます。このスタジアムはアルフォンソ13世から「レアル(王室)」の名前を貰うまで使用することになります。
1920年に当時のアルフォンソ13世から「レアル(王室)」の称号を貰ったことで、現在のレアル・マドリードという馴染み深いクラブ名を使用するようになりました。また、この時に王室の象徴でる王冠のマークも貰っており、同時にエンブレムにも王冠のマークが付けられるようになっています。
1929年になるとコパ・デル・レイで優勝経験がるスペイン国内のトップチーム10クラブが集うリーグ戦であるラ・リーガが開催されました。ホセ・ベラオンドを監督に招聘して開始したレアル・マドリードは終盤まで1位をキープしますが、最終戦でアスレティック・ビルバオに敗れたことで初優勝をFCバルセロナに譲ることになります。
1936年になるとスペイン内で政府とフランコを中心とした反乱軍による内戦が勃発します。内戦中はスポーツを行うことが出来ず、レアル・マドリードとしての活動は反乱軍のフランコ政権が樹立する1939年までストップすることになります。
戦争の余波でホームスタジアムが破壊されたり、選手がバラバラになるなどの危機が訪れますが、クラブは総会を開いて再建に尽力していきます。
戦争の余波が残る1943年に現役時代に200ゴールを決めたレアル・マドリードのレジェンド「サンティアゴ・ベルナベウ」が会長に就任します。サンティアゴ・ベルナベウは手始めに壊れたスタジアムに変わる新スタジアム「ヌエボ・エスタディオ・チャマルティン(現エスタディオ・サンティアゴ・ベルナベウ)」の建設や周辺のインフラの整備を開始します。
クラブの再建をしつつリーグ戦でも好成績を残せるように尽力しますが、上位に入ることが出来ないシーズンが続きました。再開したシーズンこそ4位に入りますが、1942シーズンと1947シーズンには10位と11位というクラブ歴代ワーストの順位を叩き出すこととなります。
しかしリーグでは結果が出ないチーム状況でしたが、カップ戦では優勝を決めていきます。リーグ戦11位という不甲斐ない結果に終わった1947シーズンもコパ・デル・レイ優勝を果たすことができるなど低迷中ながら一定の成績は残しています。
ミジョナリオスで267ゴールを決めていた当時の世界最高の選手であるスティファノがスペイン遠征を訪れた際に行った練習試合で活躍したステファノに目をつけたクラブは獲得を熱望します。同時に目をつけていたバルセロナとの争奪戦を制したレアル・マドリードはステファノの獲得に成功して1953シーズンからステファノはレアル・マドリードでプレイすることになります。
そしてそれが再び訪れるレアル・マドリードの黄金期の到来でもありました。
ディ・スティファノが初年度から27ゴールを決めるなど得点力の向上が見られたレアル・マドリードは1953シーズンに優勝をして見せて復調の兆しを見せ始めます。次のシーズンの1954シーズンも優勝を果たしたことで、ディ・スティファノの名声を轟かせると共にレアル・マドリードという名門チームの復活を確固たるものとしました。
レアル・マドリードはこの時期にCLで未だ破られていない記録を作り出しています。1955年にスタートしたCLの初代王者となったのを皮切りにレアル・マドリードは常勝軍団を作るべく補強を敢行していきます。フランシスコ・ヘントやフェレンツ・プスカシュ、レイモン・コパの獲得などで世界最強の軍団を組織したレアル・マドリードは1959シーズンまでの5シーズンに渡りCLを優勝して未だ破られていない5連覇という偉業を達成します。
1964年になると11シーズンレアル・マドリードのスタートして君臨してきたディ・スティファノがピッチを後にしました。ディ・スティファノの引退後のキャプテンとしてレアル・マドリードの下部チーム上がりのラモン・グロッソがキャプテンマークを巻くこととなり、チームは次の時代へと進んでいくこととなります。
1時代を築いたメンバーがチームを去っていったことで、アマンシオ・アマロやラモン・グロッソ・ピッリなどを中心としたチーム作りを開始。新たなチームとなっても強さは健在で1966年に6度目のCLの優勝を果たします。CLを優勝した時にビートルズの真似をしたことでこの世代は「イェイイェイマドリード」と呼ばれることになります。
1978年にレアル・マドリードを名門クラブにまで押し上げたサンティアゴ・ベルナベウ会長が亡くなることとなります。亡くなってから数ヶ月後には、サンティアゴ・ベルナベウ会長の死を追悼する意味を持ったサンティアゴ・ベルナベウ杯が開催されます。アヤックスやミランなどの世界的クラブが参加することとなり、世界中に偉大さを知らしめることとなった大会となりました。
1990年代になるとレアル・マドリードを支えることとなる選手を多く獲得していきます。1990年代のラリーガはヨハン・クライフを筆頭としたバルセロナの黄金期でもあったため、しばらくバルセロナの独壇場を許すことになります。実際に1990年代前半はバルセロナに1990〜1994シーズンまでの4年間はラ・リーガ優勝の座を明け渡すことになります。
バルセロナ1強時代を終わらせるべく1904シーズンからラウドロップやフェルナンド・レトンドなどを補強した上、下部組織から将来のスターになるラウールを昇格させていくなど積極的な補強を見せていきます。
積極的な補強が身を結びライバルのバルセロナとのエル・クラシコでも5-0で大勝をするとそのままの勢いのまま1994-95シーズンを優勝で飾ります。
翌年も連覇を狙うため、下部組織からグティなどを昇格させますが、リーグ戦は6位と振るわなかった上、カップ戦も優勝できないシーズンとなりました。翌シーズンの巻き返しを図るためにフロントはセリエAで活躍していたセードルフやロベルトカルロスを補強した上、得点力向上のため、セビージャからダヴォール・シューケルを獲得します。
ファビオ・カペッラ監督の元、現有戦力と補強組がうまい具合に身を結び1996シーズンには勝ち点92を獲得してリーガ優勝を果たします。
近年で最もCLを取っているチームであるレアル・マドリードというクラブであるので、32年もの間CLのトロフィーを取っていないことは意外に映るかもしれませんが、実際に32年ぶりの獲得となった1997シーズンになります。ファビオ・カペッラの守備的な戦術を批判され後任となったハインケス監督の元、決勝でユヴェントスを破り32年ぶりのトロフィーを獲得しました。
サッカーファンの頭の中で移籍として浮かぶ出来事で上位に入るであろう衝撃的な移籍が発生します。ラ・リーガ開幕時からライバル関係を続けていたFCバルセロナからレアル・マドリードへのルイス・フィーゴの移籍が発生したことに起因します。バルセロナのシンボルとして欧州年間最優秀選手にも選出されていた選手のライバルチームへの移籍に激怒したサポーターによってフィーゴの経営する日本料理店が壊されたり、フィーゴの顔が擦られたニセ札が投げ込まれたりするなど荒れに荒れた移籍となりました。
フィーゴに始まり翌年にはユベントスのスター選手であったジネディーヌ・ジダンの獲得をしていくことになります。2001-2002シーズンはクラブの創設100周年の年でもあったため結果が求められましたが、ジダンの決勝でのボレーシュートなどもあり、CLを獲得した上、スーペル・コパの優勝にも輝ききちんと結果を残したシーズンとなっています。
翌年や翌々年にも日韓ワールドカップでの活躍を受けてのロナウド獲得とベッカムの獲得など大物選手の加入が相次ぎます。大物が加入した代わりにチームとの確執があったマケレレやイエロなどが退団していくこととなっていきますが、守備を支えていた選手の脱退が響いて2シーズンはリーグ優勝できない日々が続いていきます。
2004〜2006シーズンを無冠で終わったことでペレス会長は辞職に追いやられます。ペレス会長の代わりとして就任したラモス・カルデロン氏が会長に就任します。会長に就任したシーズンにマルセロを補強してリーグ優勝をしますが、ラモス・カルデロン氏の不正投票疑惑が浮上します。一気に立場が揺らいだラモス・カルデロン氏は会長職を辞職していき、2009年にはペレス会長が復帰することとなり第二次ペレス政権が開始しました。
復帰したペレス会長は初年度からギアを飛ばした獲得をしていきます。ACミランのスターであったカカやマンチェスター・ユナイテッドから若かりしC.ロナウド、リヨンで爆発的活躍を見せていたベンゼマ、リヴァプールからシャビ・アロンソと長くチームを支える選手を多く獲得した年になっています。
潤沢の資金で補強を重ねたレアル・マドリードは優勝を当然の目標としてリーグ戦に臨んでいきます。しかしペップグアルディラ監督の元、メッシ、シャビ、イニエスタらを中心としたポゼッションサッカーの概念が完成しつつあったバルセロナに勝ち点が3届かず2位でシーズンを終えることとなります。優勝できなかった責任を取る形でペッレグリーニ監督が解任されると後任に打倒バルセロナを掲げたジョゼップ・モウリーニョが就任します。
モウリーニョは独自の守備的戦術を敷いてインテルを率いてCL決勝でFCバルセロナを破って優勝を果たすなど対バルセロナで成績を残していたことで期待がもたれた就任にモウリーニョは初年度から応えていきます。初年度はリーグ戦こそ2位で終わりますが、コパ・デル・レイではバルセロナを1-0で破り優勝。そしてその翌年にはバルセロナを引き離して勝ち点100でリーグ優勝を果たします。
2012-2013シーズンにはトッテナムからルカ・モドリッチを獲得して中盤の安定感の底上げを目指します。リーグ連覇やCL獲得などを望まれたシーズンでしたが、スーペルコパしか取れなかった責任を取ってモウリーニョは解任されて新たにアンチェロッティが就任します。
監督交代に合わせてレアル・マドリードはトッテナムから当時の移籍最高額でベイルを獲得します。ベンゼマ、ベイル、C.ロナウドの頭文字をとったBBCは破壊力を見せていき、コパ・デル・レイやCLを獲得していく活躍を見せていきました。
ラファエル・ベニテス監督が不振に終わったため、後任にBチームを指揮していたジダンが監督として就任します。シーズン途中からであったため、リーグ戦を諦めてCLに焦点を当てるとPK戦までもつれるアトレティコ・マドリードとのダービーを勝ちきりCL優勝を達成。これで通算11回目の優勝となったレアル・マドリードはCLで無類の強さを誇るチームとして君臨することとなります。
監督として本番となる2シーズン目にはジダンは偉業を達成することとなります。シーズン開幕前のUEFAスーパーカップで優勝するとラリーガ、CL、クラブW杯も獲得していきます。特にCLを取ったことでチャンピオンズリーグ3連覇という歴史的偉業を達成したシーズンとして有名です。
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