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EAFCモバイルにおけるローマの歴史紹介コラムです。FCパートナークラブの成り立ちや今までの活躍を紹介していきますので、ぜひご覧ください。
チーム名 | |
---|---|
ASローマ | |
設立年 | 1927年 |
所属ディビジョン | セリエ・A (1部) |
ホーム | スタディオ・オリンピコ・ディ・ローマ |
愛称 | ジャッロロッソ |
チームカラー | 赤・黄 |
実績 | リーグ優勝:3回 コッパ・イタリア優勝:9回 スーペルコパ優勝:2回 |
監督 | クラウディオ・ラニエリ |
---|---|
フォーメーション | 3-4-3 |
キャプテン | ロレンツォ・ペッレグリーニ |
ASローマの誕生にはイタリア南部と北部の経済格差が大きく関係している。ローマを含む南部に所属しているチームが優勝できない状況が続いた事で、ローマ地域に所属していた3つのクラブが併合に賛成してASローマが誕生しました。
唯一併合に反対したラツィオだけが単独でクラブを運営していくこととなり、この時にライバル関係が始まったとされます。
併合してからもユベントスやインテル・ミラノ、ACミラン、トリノといった資金力に優れたクラブが多い南部地域のチームに勝てず14年もの間、優勝を逃していきます。
南部の裕福なチームに負け続けていた北部チームに歓喜の瞬間が訪れます。1941-1942シーズンの第一節戦のナポリ戦を5-1の大勝で順調なスタートを切ると「アメデオ・アマデイ」がシーズン18ゴール挙げるなどの活躍もあり、トリノとの優勝争いを見事制して45年の間、南部チームのみの優勝に偏っていたセリエAの優勝争いに終止符を打つことになりました。
1979年に入ると前年までACミランを指揮していたリードホルムが監督に就任します。就任1年目の1979-80シーズンはリーグ戦に関しては6位に終わりますがコッパ・イタリアは順調に勝ち進んでいきます。決勝のトリノとPK戦を3-2で制して3度目のコッパ・イタリアのトロフィーを掲げます。
1982-83シーズンはローマにとって2度目のスクデット獲得のシーズンになっていきます。初戦のカリアリ戦を勝利して順調に勝ち星を重ねていき、サンプドリア戦と優勝を争うユベントス戦以外を落とすことなく、リーグを戦い抜いた事で、2度目のスクテッドの獲得を果たしました。
リーグ戦でも優勝は出来ないながらも2位に入るなど健闘を見せていた1983〜86シーズンにローマは2度のコッパ・イタリア制覇を果たします。通算で5度目のカップ戦制覇になるとともにこの時期を境に成績が振るわなくなることになるローマにとって、黄金期の終了となっていきました。
1993年になると後にローマの象徴となるトッティが16歳でセリエAデビューします。トッティのデビューなど未来につながる要素があったが、チームとしては中位を行き来する生活が今後続くこととなる。
1999シーズンに勝てないチームを変えるために新たな監督としてACミランからファビオ・カペッラ監督を招集。ここ数年監督を交代しても中位から抜け出せない状況が続いていましたが、カペッラ招集が見事的中。初年度は中田英寿などの新戦力が上手くハマらず6位に終わるものの、2年目は優勝争いをするユベントスやラツィオとの直接対決をこぼす事なく、試合を作り3度目のスクデット獲得をして見せます。
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ローマの歴史紹介【FCパートナークラブ】
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